笑い文字普及協会ができた経緯 ④「この人に講師になってほしい」と思った人

帰国しても、
「教え方を教えて」は、まだ続いていました。

そこで、
教え方を教えることになりました。

不思議なもので、
あれほど熱心に教え方を教えてと言った2人、
協会ができて1年2年と経つうち誰もいなくなりました。

でも、それがなければ
今の協会もなければ、たくさんの講師も、切手も、本も、
それから信じられないほどたくさんのご縁もないのですから。

そして、
笑い文字を習った人から習った人、
またその先の人から習った人に渡された笑い文字で
人生が変わる人も生まれなかったはずですから。

人の運命って、本当に不思議だと思います。

さて、
あきらめて
教え方を教え始めました。

最初は要点を口伝えで。


レポート用紙に5行でした。

それからだんだん、
1枚になり、2枚になり・・・。


そんな中、
わたしが「この人に講師になってほしい」と思う人がいたのです。

彼女は2013年のクリスマス前に、
うちの家にお泊りで笑い文字の教え方を習いに来てくれました。


(つづく)