笑い文字普及協会ができた経緯 ③教え方を教えて

やがてそのうち、
「教え方を教えてほしい」という人が現れます。

つまり、講師になりたい人が現れるのです。


でも、わたし、
それが本当に嫌だったんです。

2013年の夏のことでした。

はい、今となっては全国、海外にも
400名を超える講師の方がいらっしゃいます。

でも、最初は講師を育てるなんて、
思ってもいなかったんです。

だって想像してみてください。

あなたが仮にお味噌を作るのが好きだったとして、
それがおいしいと評判で、
そのうち「作り方を教えて」という人がいたとします。

毎回、何となく教えていたとします。

でも、
「教え方を教える」って、【再現性】が必要になります。
わたしが教えた時と同じように、習った人ができなくてはいけない。

それって、とっても大変だと思いませんか?

しかも私はとっても飽きっぽいんです。

この先もずっと、教え続けるなんて
想像しただけで嫌でした。



だから、ずっと断っていました。

なんといっても、わたしがその人たちに
教え方を教えないといけない理由なんて何一つなかったんです。


そして、夏は
わたしは訳あって、
英語の勉強のためにカナダに短期留学しました。

その間に
忘れたり、諦めてくれたらいいなあ、と思ってました。


カナダでは
思わぬご縁で、何回か笑い文字の講座をさせていただきました。

今の初級講座である「ありがとう講座」は
バンクーバーの日系人の高齢者施設で
「ありがとう」の笑い文字を書いたのが一番最初です。

日系2,3世の方は、普段お互いはトミーだとかリズだとか
英語名で呼び合っているけど、同時に日本語の名前も持っているんですね。

母語なのに書いたことすらないひらがな、
書き方も忘れているひらがな、

それを書く様に、アイデンティティを感じて
とても感動しました。

さて、
帰国した私です。

なんと、「教え方を教えて」は、まだ続いていました。

そこで、
教え方を教えることになりました。


(つづく)