さて、話を戻しましょう。
マレーシアでボランティアをして、その帰り
トランジットで4時間、
シンガポール市内での自由時間があったのです。
その時、一人でふらふらとシンガポール市内を動きました。
マレーシアのクアラルンプールでは修道院に泊まっていて、
朝は窓から木の枝を渡る野生の猿が見られるような、
お水は煮沸した不純物が浮いてるような水だったり、
1日かけて洗面器1杯分のお水がやっとたまるシャワーだったり、
そんな感じだったのですが(30年前ですから)
シンガポールが大都会過ぎてクラクラしながら、
それでも1軒のアートギャラリーへ。
そこは、
ふわふわとした毛の長い猿の絵がたくさん、水墨画がたくさん。
その中に
ひときわ目を引く
ちょうど抹茶茶碗のような大きさの陶器があったんです。
ショーケースには鍵がかかっていて、
どうしようと思いながら、
それでもとても惹かれて、
「このお茶碗を見せていただくことはできますか?」と尋ねると、
ちょっと馬鹿にしたような感じで
『あなたには買えない」とお店の女性。
「買えないかもしれないけれど、
とても素敵なので見せていただけませんか?」
と言っても無視されて。
と、店の奥からおじいちゃんが
「いいから見せてあげなさい」
ちょっとびっくりしたような感じで、
その女性(後から秘書と知った)が「本当にいいんですか?」
そこで初めて、「あれ?これは大変なもの…?」
手袋をして、ショーケースから出してくれて
「手にしてごらん」とそのおじいちゃん。
「持たせるんですか?」と秘書の女性。
そしたらそのおじいちゃん、
「それはピカソの作品なんだよ。」と。
わたしは、意外過ぎて聞き取れなくて、
何回も聞き返して、中国語で筆談までしてくれて
やっとピカソの作品だとわかる。
その画家の陳さんとピカソが合同展をした時の記念に、
陳さんは自分の作品をピカソに、
そしてピカソはそのお茶碗を陳さんにプレゼントしたのらしい。
そして、そこでは結局
何も買うことなく、シンガポールから日本へ帰国する。
そんなわけで、
「わー、ピカソのお茶碗さわったんだ、私…。」と
何かの折に、ふと思うことがある。
この小さな経験は、意外なほど自分の中で大きくて
言ってみること、
そして、
自分は意外と「目利き」なのかも?と
その先の自分に大きな確からしさを与えてくれたと思う。
そんなわけで、
ピカソのお茶碗のことを
久しぶりに思い出しました。