協会設立前からの働き者のスタッフが亡くなりました

私が東大阪にいたころ

つまり
笑い文字普及協会を作るちょっと前から
岡山を経て、広尾を経て、
鎌倉でもずーーっと働いてくれてたのに
スキャナーが
動かなくなってしまいました。


廃インクパッドの限界量を超えて、
うんともすんとも動かなくなってしまいました。

思えば、
ほんとによく働いてくれました。

コピーもいっぱい取ったし
それからプリンターとしても
どれだけたくさんの教材やマニュアルを刷ってくれたかわからない。

最初のころは全部、
自宅で受講生の教材は刷ってました。

修了書も、テストも、
それから講師の人に贈るお誕生日のはがきの表書きも
全部これで刷ってました。

スキャナーとしても、
雑誌に載せる原稿だって、これでスキャンしてました。
ありとあらゆるデーターを。

私がいつまでたっても
JPGとPDFの違いが覚えられないので
セロファンテープで紙も貼ってました。

朱色や墨がいつもいっぱいついた手で触って
しょっちゅう汚れてて。




最後なので、
汚れを拭いて、ねぎらって、感謝を伝えて。

ほんとに
よく働いてくれました。

嬉しい原稿も、泣きながら作った資料も、
手が震えるような支払いも、
ドキドキしながら作った提案書も
全部知ってる。

本当にご苦労様。

そして、
本当にありがとうございました。


ありがとう。